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■ はざまたそがれ

はざまたそがれ
作者 [ 夜行小十具 さま ]
ジャンル [ ジュブナイル電子小説 ]
容量・圧縮形式 [ 14MB・ZIP ]
製作ツール [ NScripter ]
言語 [ 日本語 ]
配布元 ダウンロード先

はざまたそがれ はざまたそがれ はざまたそがれ はざまたそがれ はざまたそがれ はざまたそがれ

レビュワーハマリ度グラフィック サウンド合計総合判定
ES 9 /10 9 /10 8 /10 51/60 B
赤松弥太郎 8 /10 8 /10 9 /10

 《 ES 》  ハマリ度:9 グラフィック:9 サウンド:8

箱庭世界の中学生

本作「はざまたそがれ」は、様々な点で特徴高い物語です。
初めに目につくのは、やたら古風なインターフェース。現代の「画面のどこかをクリックすれば進む」NScripter, 吉里吉里, ティラノビルダーなどのADVシステムに対し、本作は画面右下の本マークにカーソルを合わせないと物語が進みません。
※ カーソル位置さえ本マークに合わせていれば、クリックだけでなくリターン押しっぱなしでも進みます。Ctrlによる早送りや既読スキップは実装されていないため、リターン押しっぱなしが唯一の早送り手段となります。
また、文章内にもあえてカタカナ語を廃し、「やがて」を「軈て」と表記するなど、昭和初期~戦後の文学を意識した書き方になっています。音楽やグラフィックも含めて、あえてレトロな雰囲気を出しているのです。

そんな本作、結末まで読んだ印象はどうだったかというと、「何もかもが第一印象と異なる物語」でした。
本作の登場人物、および本作自体の第一印象はどうでしたか? 第一の主人公・狭間陽子の印象は「物静かで暗い雰囲気の不思議少女」、本作は「親友・野崎華子が謎の自殺を遂げ、陽子の身にも得体のしれない存在が迫りくるホラー」だったのではないでしょうか?
しかし、そんな印象は中盤辺りで一変します。中盤辺りで仲間ができると、陽子は途端に「普通の女子中学生」になります。堅物熱血バカの雨宮清十郎をからかい、霧島かすみや前園咲を相手に下ネタトークで盛り上げようとしたりと、いい意味でも悪い意味でも、純な意味でも不純な意味でも「普通の中学生」なのです。
そして、本作のジャンルは「ホラー」ではありません。「SF」なのです。「どこらへんがSF」なのかさえ、語るとネタバレになるほど急転直下にサイエンス・フィクションを仕掛けてくるのです。

「急転直下」「どんでん返し」で本作は成り立っています。ほんの脇役と思っていた人物でさえ、「とてつもない真相」が物語を進めるにつれて明らかになるのです。
ひとつ目を離すと振り落されるほどのスピード感の物語と、所々に難読漢字が入ったレトロで読みにくい語り口をサポートするため、本作は辞書が充実しています。
二転三転する登場人物たちの物語については、進み具合に応じて「人物図鑑」にまとめられていきます。オレンジ色で表示された難読漢字は、その場で「辞書」をクリックすれば、振り仮名と辞書的説明文と共に解説されます。
「?」と思った瞬間に辞書を参考すれば、決して物語から振り落とされることは無いでしょう。

ただし、物語に振り回されるのはしょっちゅうです。本作の物語は、ホラー・スリル・コメディ・サスペンス・バトル・お色気と、様々なエンターテインメントが超スピードで800×600ピクセルの画面を駆け巡ります。
その振り回しっぷりは、ラストのラストまで止まりません。人によっては納得できない完結でしょう。私自身も納得できず、正直、続編が欲しいと思っています。
ただ、本作で「はざまたそがれ」の舞台は間違いなく完結しているんですよね。オマケの後日談も含めて。
果たして、あのラスト、「続編を示唆した終わり方」なのか「余韻を残して勢いをつけたまま大半の読者を置き去りにするラスト」なのか、現段階では外部の私には全く判別ができません。

 《 赤松弥太郎 》  ハマリ度:8 グラフィック:8 サウンド:9

天下一品 わさび抜き

 本作の公式ジャンルは電子小説。つまり分岐が一切ありません。
 20年近くになる激辛の歴史上、分岐も選択肢も一切無い作品がイチオシされるのは……たしか、今回が初めてかな?

 古典的な「プレイヤーが操作できないものをゲームと呼ぶか否か」といった議論に、ボクは興味がありません。面白ければそれでいい。
 ただまあ、分岐が一切無く、ページめくり以外に操作できないノベルゲームが、殊更議論の対象になりやすいのは理解できます。
 「この内容なら小説とかマンガにした方が面白かったんじゃないか?」という意見を書くことは、ボクにもありますし。
 紙の本だったら好きなスピードで読めるし、自由に栞を挟めるし、前に戻って読み返すのも楽々ですからね。
 小説を単にノベルゲームにしても、UIではそうそう勝てません。

 そして本作の物語は、ゲームでなければ伝わらないような性質のものではありません。
 正直、本だったら何倍も読みやすかっただろうと思います。
 ただし、ストーリーだけが、作品の持つメッセージ性とは限らないわけでして。
 本にしてしまった場合は、本作の持つエネルギーは、ほとんど失われてしまうでしょうね。
 ノベルゲームへの愛情が、あまりにもあふれているから、切って捨てることなどできないのです。

 そう。数々のフリーゲームがそうであるように、本作もまた、頑固親父のこだわりラーメンと呼ぶべきものです。

 地の文、科白、発話者の顔、一枚絵と4つに区切られた強固な画面設計といい……
 途中セーブ無し、一話分読んで区切りが付かないとセーブされない仕様といい……
 30年前を思い出させる、色数の限られた絵とチップチューンサウンドといい……
 多用に多用を重ねる難読漢字といい……

 わがままと紙一重のこだわりはすなわち、本作の味です。
 否定すると何も先に進まなくなります。

 かといって、初見でこのこだわりを全て飲み込めるか、というと、ボク自身難しいところがありました。
 特に、UIですね。
 画面右下、本の画像をクリックしないと読み進められない仕様は、慣れないうちは疲れるものです。
 しかし、ページ送りの誤爆を防ぐという、その意図は明確です。
 意図が明確であれば、ボクとしては理不尽とは思わず、ゲームの指示に従う気にもなります。
 なお、NScripterの仕様として、クリックはEnterキーでも代用できます。指の負担が減るのでお試し下さい。

 本作のこだわりには、すべて意図があります。
 すべて親切心だと思いたいところですが、余計なお世話と紙一重な部分もありますよ。
 本作のセーブ仕様だって、キリの良いところから読み直した方が話を思い出せるし、没入感が保証できるから、という理由なのはわかります。
 反面、プレイヤーの自由を束縛しているのも、また事実。
 本作の面白さは、どれだけ作者のスタイルを信用し、委ねられるか、言ってみればプレイヤーの度量によって、受け止めが大きく変わるでしょう。

 わざわざ辞書機能を付けてまで難読漢字を連発することはないじゃないか、という初見の感想も、プレイを続けていればだんだんと変わってきます。
 違うんですね。そうじゃない。
 難読漢字を多用することによって、文体にリズムが生まれるという目的があるんです。
 プレイヤーが読めないかもしれない、というデメリットを飲み込んでなお、本作はそのリズムにこだわりました。
 そう見れば、辞書機能は話の腰を折ってしまう蛇足であり、妥協です。
 あくまで「辞書」に留まる内容に終始し、遊びをまったく入れないよう配慮しており、本文が読めるなら開かなくていいという立ち位置を明確にしています。

 序盤の数話をプレイしている内に、プレイヤーは、作品のこだわりに身を委ね、作品の提供する面白さを堪能する姿勢に変わってきます。
 本作のこだわりを受け入れられなければ、プレイを止めるだけですからね。
 その頃合いを見計らって、本作は次なる爆弾を投下してきます。
 本作は、こだわらないところには、全くこだわりません。
 正道から外れた、ともすれば邪道と言われかねない手法であっても、面白さのためには躊躇なく使ってきます。

 まず目に付くのは、文字遊び。
 道を折れ曲がる時に文章まで折れ曲がったり、振り返る時に文章の向きが右から左に変わったり、だいぶやりたい放題です。
 紙媒体だったら、まあ許容されない手法ですよね。それをやって許されるのは「虎よ、虎よ!」だけでいい。
 この手の文字遊びが流行らないのは、まず第一に読みにくいから。そのデメリットを上回るインパクトはない、と一般には判断されているのでしょう。
 本作の最終盤、この文字遊びを利用した、おおっ、と唸らされる演出が確かにありました。
 前述の4画面構成をかたくななまでに崩さず、顔グラの表情差分すら認めていない本作は、動きのある演出が、一枚絵のパラパラアニメーションと、この文字遊びくらいしかありません。
 だからこそ、その比重は重く、インパクトが残るのです。
 しかし、単発でやっても、唐突すぎて戸惑ってしまいます。
 だからこそ、中盤から回数を重ね、徐々にプレイヤーを慣らしていったのだろうと見ています。

 変化が始まるのは、演出だけではありません。
 中盤になると、世界観や空気感、ジャンルにまで変化が起こります。
 本作の年代設定は、最後まで明らかになりません。
 本作では、「翔」などの近年の流行を避けた人名、数十円の貸し借りで騒ぐ中学生、密着型ブルマ、乗合自動車や汽車といった単語などなど、1970年代を意識させる小道具が使われています。
 それによって、携帯電話はおろか電話自体見当たらない、インターネットもPCも無い、コンビニもスーパーも無く夜が早い、といったこの世界の特徴に、違和感を抱きにくくなっています。
 雰囲気としても、序盤のうちは、日常に現れた怪異の原因を探る、サスペンス調の味付けです。

 しかし中盤、第10話で、この世界のカラクリはあっさりと明かされてしまいます。本当にあっさりと。
 その説明は、昭和40年代の人間だったなら、SFに傾倒でもしていないと理解に辿り着かないようなもので、今までの世界観から見ると完全にオーバーテクノロジーです。
 にも関わらず、中学生達はその説明を理解し、受け入れてしまいます。これまたあっさりと。
 それ以降も、テキスト上では、はやり言葉を排する従来の姿勢が維持されます。
 が、気付けば一枚絵にアヘ顔ダブルピースをぶち込んできたり、それ以外のところはだいぶフリーダムになっていきます……。

 当然、作品のテイストも、このネタばらしで大転換します。
 主人公達にとっての明確な「敵」が示され、「勝利条件」も提示されたことで、サスペンスから一気にバトルもの、サバイバルものへと変わります。
 しかし、それとは関係なく、日常的な描写が増えてくるのも目立ちます。
 それは、かなりの部分が、先のアヘ顔ダブルピースの下りとか、女子にブルマを履かせようとする男子の企みとかで、ぶっちゃけギャグでしか無いからです。
 メリハリが付いた、とも言えますが、プレイヤーの側からすればやや冗長で、「そんなことやってる場合か?」と思うこともしばしば。
 もちろん、それらもすべて計算され、意図がある描写なのでした。
 終盤にその意図が明らかになると、何でもないような事が幸せだったと気付かされることでしょう。

 しかし、ここまでならまだ、ボクは本作をバトルものの王道として評価したでしょう。
 ボクの印象を決定づけたのは、本作の結末、けりの付け方です。
 邪道の面白味は、王道を愛し、知り尽くしている者が、敢えてそれを踏み外した時にのみ成立するのです。

 この、とても歯切れの悪い、後味の良くない結末は、決して唐突なものではありません。
 本作は終始、念には念を入れて伏線を張っています。
 上述の中盤のネタばらしも、プレイヤー視点では、考えられる理由はそれしか無いというレベルまで伏線を張っているので、意外性は驚くほどありません。
 意外だったのは、作中人物がそれをあっさり受け入れた点ですが、引っ張る話ではないのだし、それにも必然性がありました。
 ですので、この結末についても、伏線がある以上、驚きはないのです。
 頭では理解できるのですが、それと納得がいくかどうかの間には、大きな溝があります。
 ボクの感情を示すのに一番適した独白は多分、「やりやがったなあ」でしょうか。

 その上で、「蛇足ではありますが」と前置きしながら、おまけを解放してくるのが本作の邪道たるゆえんです。
 そんなの、読むに決まってるじゃないですか。
 まだ何も完結してないだろう、と思いながら、ボクはおまけを読み進めていきます。
 本編では、一話読み終わると自動的に次の話の開始画面に移ったのですが、おまけでは話数選択画面に戻されます。
 ここにきて、いちいちプレイヤーに読み進めるかどうか確認してくるのです。いやらしいですね。

 おまけまで読み切れば、たしかにこれでけりが付いたと納得のいくものになっています。
 ただし、そのけりの付け方も、ハッキリ言って邪道
 本編36話、おまけ6話まで積み重ねてきたものを踏み台にして、プレイヤーにダイレクトアタックを仕掛けてきます。あれだけは不意打ちだ。
 こんな邪道を使わずとも、本編の結末をもう少し変えていたら、多少なりとも同様のメッセージは伝えられたのではないか、ともボクは思います。
 おそらくこの作者の力量であれば、王道に忠実に、なおかつ余韻の残る結末を描くことは可能でした。
 しかし敢えて、定跡を崩し、もっとも伝えたいことを伝えられる方法を選んだ結果が、これだったのでしょう。
 それを批判する気持ちは、ボクにはありません。ボク自身、十分楽しんだのですから。

 レビュワーとして困るのは、この作品のどこを批評するべきか、普段以上にわからない、という点です。
 それは、明らかにプレイヤーにとって不便な仕様であっても、「こだわり」として押し通した結果です。
 本作で引っかかることがあったとしても、それが計算通りなのか、見落としなのか、技術的な問題なのか、わからなくなっちゃうんですよね。
 本作という頑固親父に物を言うのは、なかなか勇気が要るのです。

 たとえば、本作の一枚絵の色数が限られていたり、音楽や効果音がチップチューン調でまとめられているのは、古いノベルゲームへのリスペクトとして、意図した演出と受け止められるでしょう。
 では、表情差分が一切ない点は、どうか。
 本作では、町の人々に一切表情が無い不気味さが描かれているのだから、その対比として、主人公達の顔差分はふんだんに用意した方が良かったのではないか、とボクは思います。
 しかし、これも昔のノベルゲームへのリスペクトと言われてしまうと、反論しづらいものがあります。

 セーブシステムや文字送りについては、NScripterのデフォルトシステムをわざわざ封じているのですから、意図したものだとわかります。
 絵にも音楽にもギャラリーモードが存在しないのは、本作のこだわりを考えれば、
「絵や音楽は、あくまで作品の一部品。アンタ、ラーメンのスープが美味いからって、スープとライスだけ注文できると思うかい?」
 という返答は十分想定できますし、無ければ無いでも許容できます。
 しかし、履歴がないのは、どうか。
 プレイヤーとしてははっきり不便なのですが、技術的に難しいことも十分に理解できるし、この作品のことなので、
「ページ送りをクリックするのは、武士が刀を振り下ろすも同然。士道不覚悟、切り捨て御免じゃあ! 読み直したいなら章頭から読めい!」
 と言われてもうっかり納得しそうなので、困るのです。

 好き嫌いははっきりと分かれる作品でしょう。これだけの個性を前面に出しているので、当然と言えます。
 楽しむコツはただ1つ、作品を信じること。
 今の時点で違和感があっても、もしかしたらこの先変わるかもしれない、と思えば、先が気になる気持ちにもなるじゃありませんか。
 そう、最初は毛嫌いしていたのに、向き合っていくうちに打ち解けていった清十郎と陽子のように、ね。

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